この二つの写真、どちらも都立武蔵野公園くじら山下はらっぱで、ほぼ同じ雰囲気の写真ですが、1枚目の写真は30年以上前に撮影されたもの。2枚目は2年ほど前、うちの息子を含む学童の一行を撮影したもの。

角度や歩いている向きが違うのですが、景色は今とほぼかわりません。手前に野川が流れ、岸には季節の雑草が生い茂り、その向こうの広々としたはらっぱの道を遠足の子どもたちが列を作って楽しげに歩いています。

 東京郊外の中でも特に人気の高いJR中央線周辺エリアにあって、この変わらない景色には感動を覚えます。撮影した機材だってフィルムのカメラからスマートフォンに変わっているのです。

 なぜ変わっていないのか? 公園だからと言ってしまえばそれまでですが、それだけではない秘密があるのです。

 武蔵野台地は約10万年前に奥多摩の山々が大雨や洪水によって削られ、流れ出た土砂が堆積してできた扇状地です。武蔵野公園のあたりは、武蔵野台地の南端にあたり、古代の多摩川が流れたあとが崖の連なりとなっていて、その崖の下からは武蔵野台地に染み込んだ地下水が湧く場所がたくさんあります。この水と緑を湛えた崖の連なりは、なんと立川から大田区まで続いていて、縄文の頃から暮らしのあとがあり、国分寺や深大寺が建立されて信仰の対象になるなど、自然が豊かで暮らしやすい土地でした。今は国分寺崖線と名付けられ、地域のひとからは親しみを込めて「はけ」とも呼ばれています。

 この国分寺崖線とその湧き水を集めた野川の周辺には、武蔵国分寺公園、武蔵野公園、野川公園と大きな都立公園と、お鷹の道、殿ヶ谷庭園、滄浪泉園、はけの森美術館、国立天文台、三鷹大沢の里などなどの名所が連なっています。

 さて、最初の写真の話に戻ると、この公園は遊具も芝生も人の手が加わったものはほとんどない公園です。ほぼナマの自然が味わえるまま残してある、それが縄文のころから伝わっているこの土地の意志のように思えるのです。

 現在、この公園やはけを分断して、都道をつくる計画や、武蔵野公園を整備してスポーツ施設などを増やす計画があります。つぎの武蔵野を考えるとき、我々が立っている場所がどんな場所なのか、その場所をどんな場所として未来に残したいか、もっと考えなければならないと思うのです。

書いた人

すずきよしこ

茨城の農家の娘が東京に憧れて、出版社で20年近く勤務後、フリーの編集者に。地域雑誌「き・まま」の編集スタッフ。