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玉川上水のほとりのアトリエ「アトリエ・パンセ」

緑と水のパワーに包まれるアトリエ

 玉川上水のほとりにたたずむ絵画・造形教室「アトリエ・パンセ」。木の実や植物、オブジェなどが雑多に並び、「なんだか気になる」感じが漂う。

 中に入り2階の窓から外を眺めると、玉川上水の緑を存分に楽しむことができ、それこそ「絵に描いたような」素敵なアトリエの姿が現れる。陽光を浴び、水と植物の持つパワーにアトリエが包まれているような心地よいエネルギーを感じながら、心の準備もないまま突然、「秘密の花園」を見つけたような感動が沸き起こる。

アトリエ前の玉川上水緑道

 「アトリエ・パンセ」は1973年、奈良幸子さんが23歳の時に、後に結婚する達雄さんと「絵画の持つ可能性の夢」を込めて府中で開いた。ドイツの美術学校「バウハウス」への憧れもあり、「教育と美術」の持つ可能性に強く引かれたという。次第に生徒は100人を超え、教室は活気にあふれていた。1979年に小平に移転し、2000年頃には新聞で度々紹介されるようになった。自宅兼アトリエだった場所で25年間、教室を営んだ後、印刷所や劇団に使われていたこともある現在の建物に13年ほど前に移り、現在の「アトリエ・パンセ」の姿になった。

 玉川上水沿いに自分たちでどんぐりなどを拾いに行き、制作に使うこともある。緑の中の澄んだ空気に感覚が研ぎ澄まされ、地域の中でごく自然に美術と植物に触れる喜びを感じる。

 

心からの「楽しさ」と型にはめない「自由」が創造(想像)力を育む

 パンセではアクリル絵の具・アキーラ絵の具・コピックペン・木炭・粘土など豊富な画材を用い、絵画・陶芸・絵本・マリオネットなどさまざまな創作活動に取り組む。「君は君のままでいい、みんなみんなアーティスト」をコンセプトに掲げるパンセが大切にするのは、心からの「楽しさ」と型にはめない「自由」な時間。奈良さんは「子どもたちの中に潜む無限の可能性を引き出す最初のきっかけは『楽しさ』であるはず。パンセで過ごした時が、子どもたちの創造(想像)力を培っていくと信じている」と話す。

 46年という時の中で、その思いに育まれ多くの子どもたちが巣立っていった。卒業生はデザイナー、現代美術家、テレビディレクター、女優、バイオリニスト、野球選手、居酒屋経営者など幅広く活躍する。パンセでの時間が創造性や意欲など、彼らを強くしなやかに伸ばしていったのだろうと想像する。実際に「パンセが私の原点」と口にする子もいる。大人になってからもパンセに便りを届け、訪れる人が多いことからも、彼らにとってアトリエ・パンセが「絵画教室」の一言では表せることのできない存在であることがうかがえる。

大人の作品、子どもの作品が雑多に並ぶアトリエ空間

 現在、2歳~92歳の生徒が通う。無心に目の前の制作に取り組む気持ちや集中力、感性は、いくつになっても変わらないのだと気づく。制作に精一杯取り組んだあとに感じる充実感とちょっとした疲れ。「大人も子どもも『楽しい』と思える時間を過ごしてもらうことが大切」と奈良さん。

 大人と子どもが同じ題材に取り組むこともある。奈良さんは並んでいる陶芸作品を眺めながら「大人の作品も子どもの作品もたいして変わらないでしょ」と笑う。

 

パンセを率いる「奈良幸子」さんと表現者「奈良幸虎(こうこ)」として 

 学生時代は油絵を描いていた奈良さん。育児などに追われて24年間、筆を置いた。最愛の夫、達雄さんの闘病を食事療法で支えた12年も大きかった。病の身にあって精力的に作品を制作、発表を続けた達雄さんが逝き、年を重ね、「自分の作品を発表したい」という思いが沸き起こってきたのは53歳の時。現代美術家と親交があり、舞踏家との出会いもあり、奈良さんが表現方法に選んだのが、インスタレーションパフォーマンス。そこから「奈良幸琥(こうこ)」としてのパフォーマンス表現が始まる。国立新美術館や東京都美術館、原爆の図丸木美術館などで、手すき和紙を墨で染めた衣を身にまとい舞った。20代の時に達雄さんと共にした半年のヨーロッパ滞在を経て、墨が和紙に染み込んでいく日本独特の文化に魅せられていた。

 絵画からインスタレーションに。表現方法が大きく変化したように思えるが、「考えてみると、パンセの教室も毎回、幕が開くパフォーマンスだと思っていたかもね」と奈良さん。「年を重ね、疲れを感じることもあるけど、『パンセがあるから』と気を奮い立たせている部分も大きい。パンセは私のライフワーク」と話す。

エネルギッシュにさまざまなことに取り組み、「アトリエ・パンセ」を率いてきた奈良幸子さん

 奈良さんはエネルギーに満ち、多様に活躍する多くの知人・友人を持ち、今もさまざまなことに取り組む。「アトリエ・パンセ」は彼女のエネルギーを源として、そこに引き寄せられていったメンバーの個性が混ざり合い、濃度の濃い空間・時間が生まれ続いてきた。

 年に一度の展覧会では、子どもから大人までメンバーの家族総出で準備に取り掛かる。その様子からも、理屈ではなくアトリエ・パンセは多くの人に愛され支えられているのだと感じる。

2019年「アトリエ・パンセ展」でのイベント「宇宙」の紙芝居。後ろには作品「宇宙人への手紙」が並ぶ

 

地域とつながり、地域に開かれた「アトリエ・パンセ」に

 パンセには、奈良さんの知人がふらっと遊びに来たり、「散歩で気になっていた」と言って立ち寄る人など訪問者が多い。知らない人が石膏像や絵の具などを持ってきてくれたり、いつのまにかヒマラヤ杉の松ぼっくり・シダーローズが玄関横に並んでいたなんていうエピソードからも、パンセが地域にちょっとしたスパイスを与えている存在であることがうかがえる。

植物やオブジェが並ぶ玄関横のギャラリースペース

 東日本大震災を機に地域との関わりも変わっていった。目の前の津田塾大学のサークル「STUDY FOR TWO」とつながりができたことや、近所の人が気軽に足を運べる「よりみちパンセ展」をアトリエで開くようになる。2軒隣の「cookies KAWAI(クッキーズカワイ)」は、よりみちパンセ展へのコーヒー出前のために食器をそろえ、オリジナルクッキーを焼いてくれる。毎回、足を運んでくれる人もいて、地域とつながり地域に開かれた「アトリエ・パンセ」になった。


 緑に包まれ、上水が前を流れる場所にたたずむアトリエ。ある日のアトリエは静寂に包まれ、聴こえるのはBGMの音楽だけ。温かいコーン茶を時々、口にしながらキャンバスに向かう。無心になれる贅沢なひととき。

アトリエ・パンセ http://npo-pensee.org/

書いた人

堀内まりえ

「遠くに足を運ばなくても地域に魅力があふれている」と感じています。なんだか気になりつつも通り過ぎていた日々。その時が来ればつながっていくのだなと気づきました。

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