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地図を旅する:貫井プール

この時期、家にいて地図を眺めたりすることが多くなっています。

地図を眺めて気になった話題を書いてみようかなと思っています。

まずは小金井市の貫井神社の入り口にあった貫井プールのこと。貫井神社は武蔵小金井駅と国分寺駅の中間あたりのハケ下にあります。

 

今でも神社の入り口に碑が立っています。碑文によれば大正12年(1923)に作られて、長さ50m、幅16m、深さ1.6mとかなり大きなプール。水源は神社の裏で湧いている湧水を利用していたということのよう。冷たかったのかな?でも「ぬくい」だからそれほど冷たくなかったのかもしれません。

碑は昭和52年(1977)に建てられています。碑文の中に「半世紀の永きに亘り」とあるから昭和50年頃まであったのでしょう。

地図でこのプールを追ってみます。

 

まずこちらが現在(2020)の地図。縦書きの「小金井市」の市の字の左側にある⛩マークが貫井神社(赤囲い)です。神社の南側の道路の反対側に建物が立っていない空き地(水色囲い)があります。現在は駐車場です。ここに貫井プールがありました。

国土地理院タイル2020年を加工

昭和50年(1975)頃まであったということなので1967年の地図を見てみると、神社(赤囲い)の南側の空き地だった場所に長方形の印が(水色囲い)。どうやらこれがプールかな。野川(青色)の流れがこの頃は貫井神社の近くまで蛇行していることがわかります。桜が両側に並ぶ今の野川の流れは新しく作られたんですね。1970年から野川の改修工事が行われて、今の野川が作られたようです。台風による洪水がしばしば起こっていたのに対応するため河川の拡幅などの改修が行われました。

プールの南側には果樹園(緑色で囲んだ記号)が広がっていたようです。まだのどかな郊外の風景が残っていたんですね。

出典:国土地理院発行2.5万分1地形図「吉祥寺」昭和42年発行、「立川」昭和42年発行を合成加工

新小金井街道は連雀通りから北の部分までで南側(茶色で囲んだ部分)はまだできていません。ハケの斜面を貫井トンネルで抜ける工事の写真が残っています。遺跡の発掘のようですね。ここで旧石器時代から縄文時代の遺跡が見つかりました。はけうえ遺跡です。写真は小金井市、小金井市観光まちおこし協会のご好意でお借りしました。小金井市観光まちおこし協会のHPでは小金井の昔の写真を見ることができます。

提供 小金井市・小金井市観光まちおこし協会

もう10年遡る1957年になると、プールの周りは田んぼ(緑色で囲んだ記号)です。家もかなりまばらです。武蔵小金井から国分寺の間の住宅地の大部分は1957年から1967年の間にできてきたことがわかります。

中央線の線路の北側の電車区(茶色で囲んだ部分)もありません。道も線路沿いに伸びていたんですね。武蔵小金井電車区が開設されたのは1959年です。

出典:国土地理院発行2.5万分1地形図「吉祥寺」昭和34年発行、「立川」昭和32年発行を合成加工

この頃の貫井プールの写真がこちら。長さ50mとかなり大きなプールだったことが写真からもわかります。子供たちの夏休みには格好の遊び場だったのでしょう。

提供 小金井市・小金井市観光まちおこし協会

さらに遡った終戦直後の1947年はこんな感じでした。

出典:国土地理院発行2.5万分1地形図「吉祥寺」昭和22年発行、「立川」昭和22年発行を合成加工

住宅地というより本当に農村風景が広がっているようです。野川沿いに田んぼが広がり、桑畑(黄色で囲んだ記号)もかなり広がっていた様子です。生糸がまだまだ作られていたんですね。東京経済大学(茶色で囲んだ部分)は雑木林の感じです。国分寺駅の南口も無くて、道が今とはずいぶん違っています。

東京経済大学は1946年に赤坂から国分寺に移転してきました。国分寺の南口は1956年に開設されました。

戦前の1935年はこんな感じです。国分寺北口に街が広がっていますが、中央線の南側は雑木林と野川沿いに田んぼと桑畑ばかり。道も畦道や林の中の道という感じだったのでしょう。そんな中に50メートルのプールがあった(水色囲い)というのはかなり驚きです。

出典:国土地理院発行2.5万分1地形図「吉祥寺」昭和10年発行、「立川」昭和7年発行を合成加工

さらに遡った1924年はこちら。今から100年近く前です。武蔵小金井駅はまだありません(茶色で囲んだエリア)。武蔵小金井駅ができるのは1924年。プールができたのは1923年ですから、武蔵小金井駅よりも前にプール(水色囲い)があったことがこちらからも読み取れます。国分寺駅からプールまでは、国分寺駅北口から今の早実のあたりを抜ける道を通ってきたんでしょうか。

出典:国土地理院発行2.5万分1地形図「吉祥寺」大正8年発行、「立川」大正13年発行を合成加工

武蔵小金井に駅ができていない当時は、武蔵境の次が国分寺でした。中央線に駅がない当時の小金井村で50mの大型プールを作ろうと思った人たちの発想が凄いですね。無くなった時に碑を作ったのもうなづけます。

さらに遡ればプールの痕跡が見当たらなくなります。明治の地図では、貫井神社にきちんと貫井弁天と名称が入っています(赤囲い)。プールのあたり(水色囲い)は田んぼだったようです。

出典:国土地理院発行2万分1地形図「田無」明治42年発行、「府中」明治42年発行を合成加工

こんな感じで、時代を遡って地図を見ていくと、今の街の風景の下に地域の歴史が生きていることが感じられます。

 

書いた人 鈴木幹雄

家にいると昔から好きだったことは何だったのか考えます。自分にとっては地図は、世界への窓で、地図を見てどんな世界が広がっているのか想像することが楽しみでした。こちらで引用した地図は、国土地理院の旧版地図をスキャンして使っています。旧版地図は国土地理院のHPから電子申請で手に入れることができます。

 

 

 

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